◎ みやぎ防災・減災円卓会議3月例会議事録
(3月12日/仙台防災未来フォーラム・テーマセッション)

武田真一
これからテーマセッションを開きます。円卓会議の事務局を務めている河北新報の武田です。本日の進行役を務めます。よろしくお願いします。本日は円卓会議として仙台防災未来フォーラム2016に参加して意見交換をします。お手元の資料をお読み下さい。円卓会議は昨年の4月、産学官、民間団体、報道機関など45団体が集まって設立しました。現在は48団体、83人が登録しています。一年前の国連防災世界会議の趣旨を引き継いで被災地発の防災啓発をより強化するために、関係団体が連携して何ができるのか、基盤づくりを目指していこうという趣旨で設立しました。この1年間、月1回の例会を開いて、各団体の取り組みを共有して中越地震や阪神大震災の先行的な被災地の取り組みを、勉強会を開いて知見を重ねてきた次第です。本日は1年間の活動の集約と2年目以降の活動の方向性を探るため、初めての総合討論の場にしたいと思います。円卓会議としては第11回の例会と位置づけていて、ほかの会場とは違い、このような会議形式にしたのはそのためなんですが、内容についてはこのあと16時から始まるクロージングで報告することになっています。活発な意見交換で防災未来フォーラムの成果にもつなげたいと考えています。世話人の一人である東北大学災害科学国際研究所長の今村文彦所長からごあいさついただきます。

今村文彦
みなさんこんにちは。このテーマセッションに参加いただきましてありがとうございます。いま武田さんからご紹介ありましたけれども、われわれ1年前の会議の会議を踏まえて、この地で産学官、メディアが協力して防災減災を本当に一歩一歩進めるということでございます。振り返るに、東日本大震災前から宮城県沖地震、30年以内99%ということで、全国に先駆けて様々な対策、啓発活動行ってきましたが、残念ながら3・11は大きな被害を受けてしまいました。結果的に被害があったんですけれども、もしその前の活動が無ければ、その被害は想像できないものになっていたと思います。このことをあらためて振り返りながら、今、残されている課題もございます、また昨年の会議で提案されました仙台防災枠組、具体的にわれわれどういう風に貢献し、われわれの活動を進められるのか、これが今われわれに求められていることだと思います。そういう意味では、例会が第11回ということでございますが、われわれは特に4月以降、具体的なプランに向けて皆さんと議論を深めたいと思います。そのためにあらためて過去と現在と未来という形で議論を進めたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

武田
ありがとうございました。それではこれからの会議の進め方についてご説明したいと思います。お手元の次第をご覧下さい。事前に会員にお願いしたアンケートに基づいて、3つのテーマについて意見交換を具体的にしてまいります。終了予定が15時50分となっておりますが、これはそれぞれ撤収が終わる時間なので、15時半にはこの会場での討議を終えたいと思います。実質的な意見交換に重きを置きたいと思っています。アンケートで出された具体的な意見を手元でまとめてはあるんですが、その都度、その中で象徴的、代表的な意見をご指名して、あるいは挙手で普段の会議と同じような形で意見交換をしていきたいと思います。討議の内容は河北新報の記録係で集約して、欠席の方もいらっしゃいますので後日、4月の例会では概要をお示しできるようにします。今日は一般の市民の方も傍聴されていますが、基本的には手元の資料で円卓会議の性格を把握いただきながら、答弁の内容と照らして聞いていただければと思います。それでは早速、討論に入りたいと思います。討議の基になるアンケートは会員32人の方から回答をいただきました。お手元のこの資料、今村先生のお手製ですが、その資料の中に後段に近似法的に項目をまとめたものがございます。総括的にはそういうことになっています。1番目の質問にあるみなさんが防災発信と教訓伝承で最も力を入れていることは何ですかということに関しては、二つのページでこのように紹介しています。これについてはこの一年間の振り返りの中でそれぞれの活動報告を受けてある程度は、同じ基盤に立っているかなと思いますので、あえてここは本日の討議から外させていただきます。よろしくお願いします。その上で中心になるテーマ、結局、教訓伝承と防災啓発で今、不十分だと思っていること、不足していること、課題は何だろうということを第一のテーマ、今後それを具体的に継続強化するためにすべきことは何であって、いつまで、どのようにしたらいいんだろう、これは二つの質問をまとめた形にしていますが、テーマにいたします。それから会員が集まって1年過ごしてきたわけですが、それでは2年目以降はどんなことをやるべきなのかということです。この3点について具体的な意見に沿って意見交換を進めたいと思います。よろしくお願いします。
まず、教訓伝承や防災啓発で不十分、不足、課題だと思っていることについて、主な意見の集約というこの厚めの資料をご覧下さい。はじめにおことわりにありますが、所属組織、役職でものを言ったと思われると、大変なことになるという方もいらっしゃいますので、あえてそういう風にしています。個人的な見解を含んでいますということが前提ということをご理解ください。これは2番目のテーマ、3番目のテーマに重なる部分があるわけですが、とりあえずこのテーマについてみなさんの中で確認をしてもらいたいと思います。まず順番である程度整理してあるが、取り組みがばらばら、それぞれがそれぞれの活動を一生懸命やっているけれども、そこに統率感が無くて集約しきれていないのではないか、ないしは啓発をしている側、教訓伝承に一生懸命取り組む側と、それを受け止める側に意識の違い、認識の違いありませんか、ちぐはぐではないですか、という意見がありました。菅原さん、野沢さん、保田先生、そのあたりが同じような意見を言っているわけですが、菅原さん、ばらばら感について意見をお願いします。

菅原康雄
福住町の町内会長を務めている菅原と申します。トップバッターではらはらどきどきです。福住は平成10年から減災について力を入れながら、訓練ですとか、災害相互協力、最近では他を助ける他助をさせていただいている。その中で今、おっしゃられたように学識関係の方、あるいは行政関係の方、民間、報道などやはり啓発の足並みがそろわないのは当然のことなんですね。予算がある、なしも一つあると思います。報道も入ってきますと、どうしても予算のないところ、われわれのような町内会、最小コミュニティーの町内会、ここのところの足並みがそろわないところがある。取り上げるのは一番といいますか、資金力があるところがメディアに上げられる。私としてはたくさんの住民が取り上げられるような工夫、なぜここに挙げたかというと、最小コミュニティーである予算のないところが、私は一番、人命を救ったのではないかと思います。だからこういう風に挙げたんです。やはりこれは何もなくても、みなさんはメディアでも官学、学識関係者でも地元に戻れば協力したと思います。あるいはされたと思うが、われわれ町内会が一番の力を入れさせていただいて人命を助けました。ピラミッドの頂点は何かというと、減災でも防災でもいいが、頂点は人間と動物だと思うんですね。この命を守ることじゃないかと思います。ですから、もう少し足並みをそろえるような形で、予算は要りませんけれども、少しでもメディアでたくさんの町内が、仙台市内だけでも1392町内会がありますから、活躍したところをどんどん、どんどん取り上げていただいて、みなさんに広めて、これはいいなというところは報道で流していただければいいのかなと思います。

武田
人と動物ということで、常日頃の持論をまとめていただきました。ばらばらという意味では保田先生もそういう趣旨で受け止めているのでお願いします。

保田真理
私が書かせていただいたのは、記録とか教訓は結構、集められたかなと思うんですね。メディア関係も災害研でも、あとはそれをどういう風に意識啓発とか、実際の安全対策に生かすかというところがまだまだこなれて無くて、例えばそのまま見せるとショックが大きいということで、2番の新川さんのところに行くかと思うんですけれども、見たくないという気持ちがある人のところに、そのままそういうものを出すのはどうかと思うので、それをいかにこなすかというところが、まだまだ十分できていないというか、私もはじめ、考えなければいけないところで、伝えるべきことと、受け手が受け入れられることに少しギャップがあるので受け手が受け入れられることの形にし直すというか、変化させるというか、研究の視点でもあるんでしょうけれども、改善する余地がまだまだいっぱいあると思っています。

武田
後段の深く関わるグルーブと、そうではないグループの境界を無くしていかなければいけないんじゃないか、という部分についてはどうでしょうか。

保田
それは今日なんかもそうなんですが、今日みたいなイベントに参加される方は意識が高くて活発に活動されていますが、そうではない普通の家庭にいらっしゃる方、会社員でも主婦でも男性もそうなんですけれども、5年たって余計、ギャップが深まっている感じがします。ずっと必要だと言われる方と、私たちは日々の生活が大切だわ、という方がいて、日々の生活が大切だわという人たちにも何か意識付けをすることを私たちがアプローチしないといけないと思うんですね。ここで議論した結果をもっと、すごく難しいが、底上げというか、引っぱり挙げることを今後、努力していないといけないと思います。

武田
それから野沢先生、やはり同じように、集約の仕組みがなくて残念だというご意見ですが、いかがですか。

野沢令照
私どもは教育の分野で取り決めをしているんですけれども、たまたま先日、福島でうつくしま未来センターという形で、われわれの復興教育センターと同様に、教育にかかる復興を担っているところの所長さんと、お話しをさせていただきました。その時に、避難所での様々な取り組みとか、運営とかが話題になったのですが、実はまったく同じような取り組みをお互いにしているんですね。ところがそういうものの情報を共有する場がなくて、それだったら宮城でもやっている、福島でもやっている、そういういう話が盛り上がりました。そういうふうなことはすべての分野で言えることだと思うのですが、そうしたものを一つのところでまとめる仕組みが生まれれば、より効果的な仕掛け、仕組みができるのではないか、そんな問題意識をもっています。

武田
そういう意見で強く書かなかった方でも、やっぱりそうだよねと思うようなご発言だったと思うのですが、いかがですか。そもそも円卓会議自体の設立趣旨の背景には、それぞれが取り組んでいることについて横の連携ができればいいのになという願いがあって、こういう形になっているわけで、共通していると理解しているが、その辺、どうでしょうか。今野さんいかがでしょうか。

今野隆彦
防災・減災サポートセンターの今野と申します。一口で言うとこの円卓会議は非常に規模が大きくてですね、終わった後、一杯、飲み会もできない組織なのかなと、非常に悲しいと思っているんです。そういう一杯飲み会できるようなグループでもう少し突っ込んだ話ができると、先ほど野沢さんがおっしゃったような情報の共有化が非常に進むのではないかと思います。私がちょっと小耳の挟んだ話で岩手県でうまくいった事例ということで、火山防災の先生がおられるが、その方が市の職員、研究者、町の人からみんな集めて飲み会を企画して毎回のように飲んだ、それが非常に役立ったんだという話をされていました。まだ岩手山は爆発していませんが、災害の面で日常的なコミュニケーションが非常に役立ったとおっしゃられていまして、それが一ついい事例じゃないかと思います。突っ込んだ話は、まるっきり関係ない話には入っていけませんけれども、近縁の話だと入っていったり、こっちから意見を出したりしてお互い刺激があって、発展性もあるんじゃないかと。今度、こういう企画したいのでお願いしますよ、という話にも発展するんじゃないかと思って、私はそういう仕組みづくりに期待しています。

武田
一番最後のテーマに入っていますが、飲み会の話も最後の事務連絡に入っていますのでよろしくお願いします。それでは今村先生いかがでしょう。

今村
難しいですよね。みなさん、あるテーマで集まったグループというのは、目的もはっきりしていますし、利害も一致して活動も活発になるわけです。また違う目的ですとそこに差があるわけです。どっちを優先するのか。連携を優先にするのか、ある目的でしっかり活動するのか、これは大変難しい問題で、恐らくこういう状況を解決するためには、先ほど共通の場を設けることと、コーディネーターが必要ですよね。場と人がいると。われわれの円卓会議は、いろんなグループのみなさんが集まって、緩い連携の方だと思います。一応、武田さんと私は世話人でまだコーディネーターにはなっていないので、それを目指して少し活動は始めさせていただいています。円卓の場は1カ月に1回の場です。1年間活動させていただいて、それなりにやっぱり共有できていただいていると思うのですが、それを一歩超えるために、この円卓会議がまた一つクリアな目的を持ったグループになるかどうかということもみなさんにご意見をいただきたいと思います。

武田
円卓会議の運営に議題が移っていますが、もう少し一般的にそれぞれの防災啓発活動が、ばらばらよりは集約するものがある方がもっといいね、というところでのご不満があるという話ですので、今のことについてはまた最後に詰めたいと思います。次も意見のくくりとして防災教育の現場での不満、特に地域との連携や、親子への伝承、全国への発信という点で防災教育の欠陥、取り組みの齟齬があるんじゃないかというくくりです。本日、この会場にはかぶってみえていませんが、佐藤先生が学校防災と地域防災を連携融合した地域ぐるみの防災活動が不足しているとおっしゃっていました。それから田端先生、同じ趣旨ですが全国的にはそうだということでした。板橋さんは具体的にお怒りであります。阿部さんもそういうことでした。田端先生いかがでしょうか。

田端健人
宮城教育大の田端です。やはり、学校での防災教育はなかなか充実ができないと。小中高校はカリキュラムがタイトですので防災教育を入れていくのは難しいと。釜石でしたら各教科に組み込んでいたんですけれどもあれは市の取り組みであった。校長先生が代わると変わってしまうという傾向があります。大学でもなかなか言えない。宮城教育大ですと3年ぐらいは被害を大きい学生がいましたので、なかなか語れなかった。最近になると比較的語りやすいんですが、山形に行ったり、茨城、広島、京都などいろんなところに非常勤で行きますと、そっちの方が非常勤として語りやすいんですね。ところがそっちの方にはそういうカリキュラムがあんまりない。大学のカリキュラムを作り替えるのは時間がかかる、そういう難しさがあると思います。これはやはりマスコミで一時的に啓発するだけではなくて、カリキュラムとして制度として入っていかないと、人の不幸とか死とかそういうテーマですので、人は避けるんですね。なので大学や学校でいやでも直視するという仕組みづくりがいるのではないかと思います。それに加えて家庭の問題などいろいろあると思います。

武田
どうやら校長先生で熱心な人が代わってしまうと、その学校ではうまく引き継がれないんだというお怒りを板橋さんが書いてありますで、ご自身の体験も含めていかがでしょうか。

板橋恵子
お手元にお配りしております、できたばかりのサバメシ防災ハンドブックがあるんですが、この制作過程においてこれまで熱心に取り組んでいた学校2つに連絡をとった時のエピソードを書かせていただきました。前々回の時に、ある中学校の生徒さんのレシピを掲載させていただいたことがあって、今回もお願いできないかと学校にお電話を差し上げたところ、熱心に取り組んでいた校長先生が異動なさったということで、お出になったのは教頭先生だったんですが、実際に取り組みを今年度やるかどうか、非常に曖昧であるというお返事で結局は最終的にご協力いただけなかった学校が1校と、もう一校は2011年震災直後に配ったハンドブックを広くお配りするというご案内を差し上げた時に、ある中学校の先生からお手紙をいただいて、私がこの学校のサバメシ担当になりましたといううれしいコメントをいただきましたが、その学校にお電話をしたところ、震災の時にいらした先生はたった一人残ってらっしゃるだけで、他の先生はみなさん異動なさったと。実際にそういう取り組みを行っていたことを聞いていないというお返事だったんですね。これは学校に限ったことではないと思いますが、物事は人が代わると引き継がれないんだということを身近に感じた例でした。ですのでそういう学校でこそあの震災の教訓を、きちんと防災教育の一環として組み入れるべき責任が、特に被災3県には強くあるのではないかと思うのですが、あの時どういう状況だったのか知る先生もいらっしゃらなければ、未経験の生徒たちが新しく入ってくるとなると学校の現場でまずは引き継がれないということになってしまいますので、5年間で今からもう遅いのかもしれないかもしれませんけれども、まだ間に合う分のところで、せめて教育現場で誰か先生が代わろうと引き継ぐべきものをしっかり資料として教えとして残していく仕組みづくりが大切だと感じた次第です。

武田
これは田端先生と板橋さん同じご意見だと思います。賛同される方も…、菅原さん。

菅原
ヒントを教えます。学校単独だと代わるとやらないということがありますけれども、田子地区では田子市民センターも巻き込んでやる。校長先生が代わっても、市民センターの館長さんが同時期に代わることはありません。4年前から、福住町を見習って、田子市民センターと中学校を主にして10町内会でわれわれが11月第二日曜日に経緯もあって、中学校の先生、田子市民センターの館長さん、10町内会がタイアップして4年前から同時間、同日に地区の子どもたちを返してやっておりますので。その間校長先生も代わっているんです。市民センターの館長さんも代わっているんです。でも地域の防災行事についてはなんら変化無く行っていますから、学校だけにお願いするのではなく、二つ三つの団体もお知らせする、仲間に入ってもらうといいのかなと思います。

武田
まさに佐藤先生がそういう趣旨で、地域ぐるみでやっていきたいんだけど、そこがなにかうまくいっていないんですよねと。学校現場をみるとそういう引き継ぎがうまくいっていないんだよね。中間として成功例がないわけではないという菅原さんのご指摘ですが、そうは言ってもコンサル協の馬淵さんは町内会といっても高齢化進んでなかなか大変で再構築をしないとね、というご意見でした。いかがですか。

馬淵幸雄
建設コンサルティング協会の馬淵でございますけれども、私ここで書かせていただいたことは業務を通じて感じたことなんです。例えば市町村の地域防災計画を作成するに当たっては、避難計画を地元に落として地元の合意を形成するために、何回かワークショップやるんですね。われわれは行政側と住民側の間に入って、支援する立場なんです。参加する方はみんな高齢者、今日も参加している方は高齢者が多いのですが、誰がやはり大事かというと若い人に期待、若い人はある程度の年齢にたつと、若い人が減少する繰り返しなんですね。5年前の今回の震災でみなさんご存じだと思いますが釜石の奇跡というのがございまして群馬大学の片田先生が10年かけて、小学校、中学校、鵜住居小学校、中学校でしょうかね。99・8%と、一人は風邪をひいて家にいたということでほぼ100%の教育効果がなされた。その効果として子どもが逃げる時に、大人が躊躇した時に、子どもの力で大人を救ったという奇跡が起こった。子どもの力は無限なんですね。大人はある意味で先入観、固定観念を持ちますので、ある意味ではフレキシブルな若い方を入れながら、自由な意見交換ができるようなネットワークが重要かなというふうに私は感じております。

武田
今村先生、学校現場と地域を巻き込んだ連携がやっぱりちょっと継続が難しいんじゃないかという意見についてはいかがですか。

今村
震災前から防災教育を支援させていただいていますが、やっぱり単発なんですよね。進んでいるところは引き継ぎが良かったり、地元で要望していただいたり、よく津波に関しては多重防御があっていろんな層でやっているんですが、われわれの活動も同じで、いかにいろんな層の方たちがクロスしながら進められるかがキーだと思っております。本日、丸谷先生が違うセッションにおりますので、1ページの裏をみていただきたいと思います。今、現在、不足している部分をご披露していただいていますが、丸谷先生からも二つご紹介がありました。被災地全体として教育伝承の発信を行っていくべき組織が、例えば阪神淡路の人と防災未来センターのような組織がないと。地域ごとに、われわれの東北は広域ですので複数でもよいんじゃないかと。活動するためには少額の活動費を助成できるファンドがほしい、10月に講演会で学ばさせていただいたんですけれども、新潟の中越地震の際には基金、ファンドですね、こういうものがあったと。今、残念ながら、無いということが示されております。ご紹介になります。

武田
次に移りますけれども、同じ意見を野沢先生もおっしゃっておりますので、まとめてその辺をよろしくお願いします。

野沢
すいません今村先生がまとめていただいた後、ちょっと戻るんですけれども、校長経験者の一人として先ほど話題があったので、少し今後に向けた取り組みの私なりの考えを短くお話しをさせてください。実は今日の午前中、仙台市内のほとんどの中学校で卒業式がございました。私も参加してきたんですが、卒業生が答辞の中で昨日3・11と、そこに触れているんです。その中で私たちは未来を開き、地域を支えるそんな人材に巣立っていきたいとしっかりそこで宣言している。多くの中学生がそういうことを言っています。当時、小学校4年の時に震災を経験した子どもたちです。私たちは子どもたちがどんな思いで育っていくのか、それをどう支えるかということを社会の中で見ていかなければいけない。私は宮城教育大学に田端と一緒におりますけれども、そこの中の学生たちも、教員になって地域を支える子どもたちを育てるんだという強い意識をもって巣立とうとしています。やはりそういうものを支えていくときに、宮城県で地域を支える子どもたちを一つのコンセプトに教育を進めていこうとしています。ですから防災教育の中でその柱をしっかりと根ざしたものにしていくということが、先ほど言われました校長が代わろうが、教員が代わろうが宮城に中にその土壌が、風土というか風が流れていくことが、ひいては大きなものにつながっていくのではないかというふうに思っています。私どものセンターに防災教育未来づくり総合研究センターと名を変えて、来年の4月から走り出すんですけれども、まさにここで得られたことをそういう中で生かしていきたいと思っています。

武田
1番目のテーマについてはこのあたりで、後のテーマにそのままつながるものもありますが、基本的にはやはり連携だったり継承だったりに不十分な点がどうやらありそうだと。そこを克服していく例もあるようだ。そこに円卓会議の枠組みとして何か働きかけができないかという方向性がでてくるんだと思います。そういうまとめ方で次のテーマに移ります。次はたぶん今日のメーンのテーマになります。教訓伝承や啓発発信をさらにこのまま風化させるんじゃなくて継続して強化していくためにはですね、何をしたらいいんだと。先ほどから出ているわけですが、具体的に何をいつまでどのようにしていったらいいんですかというテーマです。共通するのはばらばらの取り組みをきちんとまず連携させるという方向性を確認しましょうよ、というご提案でした。梅森さんそういう趣旨のことだと思いますが、いかがでしょうか。

梅森雄一
梅森です。さきほど冒頭からさまざまな取り組みをいろんな組織でやっているんだけども足並みがそろっていないねと、中身的にはそうなんですけど、例えばわれわれですと職員研修などで震災対応であるとか防災に対しての備えなど内部ではそういう機会を設けて、そういう材料をもっているが、それって外に向けても使えるものがあるんじゃないかというふうに思ったりします。さらに立場立場で地域に対して伝承していきたい物事があったり、防災を担当するわれわれの後輩に伝えていきたい、そういう伝承すべき事項などいろいろなものがあると思います。それをやはり整理されたところに収めることによって、いろんな人が取り出して使える場があればいいなと思います。それは物理的な場でもあるし、それを継続して支えていく、それには資金とか人も必要なんだと思いますけれども、そういう場づくりがあればいいのではないかなと思ってここに書かせていただきました。

武田
ありがとうございます。JICAの永見さんはいまネパールにいらっしゃってネパールに送ったら、ネパールから返ってきてここに書いています。持続可能な取り組みにするには横断的な枠組みが必要なんだと。調査とか視察団の派遣をやってしまえと。2016年3月から組織体を立ち上げて実践活動をしてくださいと、というところまでご指摘をいただいています。小野先生が多少範囲としては連携の範囲を絞った形になりますね。そういう連携体を作りましょうと提案されています。小野先生いかがでしょう。

小野裕一
私のコメントはまず、円卓会議ができて1年間、回していけたということはいろんな意見はありますが、これができたことは非常に素晴らしいと思います。その中でいろんな意見はあると思って、それは改善の余地がいろいろあると思うんですけれども、緩やかな連携で始めた円卓会議、その中で教育のトピックとかいくつかのテーマで、もう少し少ない数に絞って具体的な活動についての一つとして、大学等研究機関とメディアの関係について、どうしても大学の研究成果はアカデミックな会議とかペーパーでしか社会に対して発信できないところがあるので、それだと一般の人にはいかないものですから、どうしてもメディア、テレビ、ラジオ、新聞を含めて一般の人に情報が行くということになっていますのでそこの大学とメディアの連携を一緒の立場というよりもお互いに共有してもうちょっと関係性を深めることをやるべきだと思っていまして、それをやる中でもう一つ教訓の伝承ということでいうと東北に留めておかないで、何度か西日本の方に入っていただきましたけど、この円卓会議の場に積極的に西日本の人を呼び掛けたり、あるいはわれわれが西日本の方に行って、こういうことを円卓会議でやっているんだということを言って全部は無理でしょうけど、高知とか名古屋とか次に起こりそうなところに行って、円卓会議の仕組みを作ることをサポートしにいったりして、そういうことを考えながらやっていったらいいんじゃないかと思いました。もう一つ、これまた大きな話ですけれども、きょうは仙台防災未来フォーラムということで国際的なことになっていますが、国際発信、せっかく去年、国連防災世界会議にあったんで、そのモーメンタムをですね、閉じないように、世界との連携、これだけ被災地に対して世界中から支援をいただきましたので、お返しという意味も含めて、世界発信するというのは一つあると思います。

武田
メディアと研究機関の連携については、以前から円卓会議で重要項目となりつつも、なかなか具体化できないまま1年間きていました。メディア側からこれに対するご意見いかがでしょうか。具体的にやっているところもあるんですが、まとまった形ではやりきれていない所もあるように、私は見受けているんですが、放送分野でそういうことは進んでいるところもあるような気がするんですが、東北放送の今井さん、研究機関とメディアとの連携についてはどんなお考えでしょうか。
今井敦
普段われわれの中では、常々、東北大学をはじめとする研究機関の方々の情報をいただいてそれを常に発信しようということで、機会があるごとにはやっているが、確かに常時つながっているか、実情を申し上げると、取材する記者なり、人間のアプローチに頼っているところがある。それが組織的なもの同士が連携できるものを作れればそれはもちろんいい報道につながると思っています。

武田
河北新報の今野さん、いかがでしょうか。

今野俊宏
マスコミと研究者の関係は今まで無かったので今回の立ち上がりは大きいと思います。マスコミ同士の連携は無かったんですけど、普段ライバル関係にあったりするわけで、本音と建て前を今までは切り分けてやっていた部分があります。そこを融合して、情報を共有したり、ある部分で手を携えてやっていかなければいけない時代に来ているのは明らかなわけです。そこのところを切り離してやっていくのはマスコミの中でも今まで無かったということなので、その契機になるという位置づけは大きいわけで、マスコミと研究機関、マスコミと市民というよりまずマスコミの垣根を取り払うことを本音でやっていく時期かなと思います。

武田
去年の同じ時期に、われわれの主催で報道シンポジウムを開いて、名古屋から研究機関を中心に報道機関が常日頃、勉強会を開いてやっているという先行例を学んだことがありました。これが仙台で本当にできないのかなということで検討しないといけなかったんですが、なかなか1年間、放っておいたという事情があります。円卓会議という場でつながったことを、私の意見になりますが、次の段階として小野先生のご提案通り、ステップを踏まないといけないと思っていますので、マスコミ間の連携はもちろん、それを基に研究機関との連携をやっていかなければならないと思います。一つのテーマに突っ込んでしまいましたが、次に具体的な提案があるんですね。先ほど丸谷先生からご指摘いただたように、先行事例として阪神大震災後の21世紀研究機構、中越の防災安全推進機構、そういったものが有るじゃないか。そういうものがここにないのが、どうやら統合した情報の受発信の仕組みになりきれていないんじゃないか、それ目指したらどうなんだという意見がかなりの方から寄せられています。防災士会みやぎの菊地さんいかがでしょうか。

菊地正衡
防災士会の菊地です。例として今いわれましたように兵庫が先陣を切って、ひょうご21世紀研究機構というような組織で活動されていまして、東日本大震災、去年の時もそうですけれども、いろんな場面で神戸が先頭を切って、私どもを引っぱってくれたんじゃないかと思います。円卓会議も今村先生をはじめ、音頭を取っていただきまして、産学官が情報共有をしないといけないよね、ということで円卓会議が始まったわけですが、東日本大震災が起きて、やはり東北でもそういう情報を一本にまとめてけん引していただけるようなシンクタンク的なもの、先ほど今村先生から丸谷先生の代わりにご説明していただいたわけですけれども、やはり災害研の丸谷先生もお話しされているように、訓練、伝承していく機関とか、今まで私ども、ここにお集まりのいろんなグループが、それぞれ活動しているんですけど、それらがばらばらに活動しているようにしか見えないんですね。私どものグループもそうなんですが、円卓会議が次のステップとして、そういう東日本の震災記念機構みたいな形に発展していけば、そこにいろんな情報を集めてみんなが共有できるのではないか、引っぱっていくような組織がほしいなという思いで書かせていただきました。

武田
ありがとうございます。朝日の坪井さんはさらに具体的なものをイメージしていらっしゃるようです。お願いします。

坪井ゆづる
朝日新聞の坪井といいます。具体的というかひょうご21世紀推進機構のイメージなんですが、東日本大震災の場合、被災地域が広くて宮城に作る、福島に作る、岩手に作るという話にこれからはなると思うんですけど、実は石巻に国が公園作りますよね。あそこに施設を置けばいいんじゃないかなと思っています。そういう話が出てきてないのが不思議でならないんです。われわれが円卓会議として集まって、資料を散逸させないで管理しましょうという方向で議論を続けていけば、何かハコ物というんですかね、東北大学や河北新報それぞれにすごいアーカイブをもって、NHKもあるんでしょうけれども、わざわざそこに行かなければ見られないというよりは、どんとこう中学生が修学旅行で必ず寄るような施設として作ったらいいんじゃないかなと思います。ぶっちゃけ言うと県が金を出さないとだめなんでしょうけれど、国の施設か県の施設かという形でイメージしております。

武田
県の話が出たので、笹出さんに振ると、笹出さんはアンケートにお答えいただいたんですが、立場上言えないことがあるというアンケートの内容でした。しかし、ここは会員としてよろしいでしょうか。

笹出陽康
アンケートでは十分なお答えができなくで大変申しわけありません。今、坪井さんからあった意見はもっともだという風に個人的には思います。ただ、10月にお話しさせていただいた時もちょっと申し上げたんですけれども、県というのは一方的な思いだけで施策をとれるということではなくてまだ他県に避難している方を含めると5万人以上の方が、避難住宅に仮住まいしている中でそういった組織を立ち上げる時期なのかどうかについてはかなり慎重に考えている状況でございます。ようやく来年度から5年間かけて10年を節目として検証作業、東日本大震災の教訓の伝承と検証調査事業をやっていこうということで来年度5000万円の事業で進めまして、私が聞いている話では今村先生のアドバイスをいただきながら進めたいというような、私のセクションではないので、といったことを考えまして、まずは5年の節目まででどういった状況なのかといったところを確認しつつ、どなたかも書いてらっしゃいましたけれども5年ということではなくてもう少し長い目で見ながら検討したいなと言うふうに考えていると私は受け止めているということでございます。

武田
ありがとうございます。もしかしたら少し踏み込んでご説明いただいたんだと思います。いずれにしてもそういう施設を作るべきタイミングに来ているのではないかという意見がほかの方にも馬淵さん、野沢さん、田端さんもおっしゃっているわけですね。ほかができているのになぜできないのか、そういうのがないとうまくいかないよねという認識が共通しているわけですが、その辺に関していかがですか。馬淵さん補足はありませんか。ここに書いてある通りでよろしいですか。田端先生もよろしいですか。ではちょっとお願いします。

田端
今お話しにあったその場にいかないとというのが一番大事だと思います。ネット上でいろんな写真動画は手に入ります、ところがその場に行かないと手に入らないものは何かというと遺構だと思います。やはり原爆ドームがあるから世界中からあれだけ行っている。やっぱり私たちは遺族の方や被害にあった方の心境に配慮をしなければいけませんけれども、ものを残すということが津波のすさまじさをダイレクトに知るためには大事だと思います。そして学校というもので減災ができていたりしたということからすると、学校の校舎ですね、大事なところの学校の校舎をやはり残しておくべきだと思います。

武田
アンケートでは書かなかったけれども、そういった先進事例を後追いというか見習って組織作り、場づくりをきちんとしたほうがいいんじゃないかということに対していかがですか。いや別に作らなくてもいいんじゃないか、という意見はありませんか。そんなに人防って表面的な評価だけではないよみたいな意見があれば。今村先生いかがですか。

今村
まず人防はやはり、あれだけの施設があって展示機能もありますし、伝承機能もあります。大切なのは11人の若手の研究員を抱えているんですね。そこははやりシンクタンク的な役割があります。この2者、3者が一つになっている部分はやはり評価をすべきだと。なぜ東日本大震災の被災地にできないのかというと一つは予算、3県にわたっていて一つ一つ復興の状況は違うと、これが一番大きいのかなと実感しています。もう一つスケールダウンしてみますと、ハワイのハワイ島にパシフィック津波ミュージアムがございましてボランティアの方たちが資金を集めて、昔の銀行の支店を改築して語り部さんもそこに居ますし、非常にいいアクティビティを支援しているのでわれわれそういうのも見ながら、東北の場合は各地域で一つずつ活動を始めるのかなと思っています。

武田
いかがですか。河村先生。このあとどうやったらいいんだというところで意見を振ろうと思ったんですが。

河村和徳
僕が人防と21世紀機構と一緒に共同研究をやった手前でいうと、正直なところ文系の研究者を神戸大学が供給してきたんですけど、東北大学もいいと思うんですけど、やはり理系中心なんですよね。すなわち社会にコミットしていく、社会科学の分野の訴える力が弱いというのはあると思います。実際にその辺りをみていくと、先ほど出ました財政の話もそうなんですが、寄付からスタートしているというところにわれわれの東北とのギャップをすごい感じるんですよね。すなわち当事者意識を持って、寄付をする、自分たちが公共財を払うんだというところから広げていく運動をしないと。その意味で西日本と違いますよ。うちの実家静岡で裏が海なんですよね。焼津市なんですけど。地震があったら100㍍でうちの実家流されるんです、うちの親父、町内会長、自治会長やっていますけど。誰が公共財を払うのかというところの教育をしていかないといけない。遺構を残すというのは非常に大事な話なんですが、公共心をきちんと養っていく、公共財を供給しようという文化をつくっていくことは中長期的に見て必要だろうと思います。その辺りから考えると西日本と東北の一つのギャップがあるのかな。もう一つは先ほどの研究の話もそうですけれども、個人的に思っているのは、中越の時に実は僕は金沢大学にいて報告書を書いているんですけど、誰かがお金を出すって時に一つは建設協会さんとかが今建物を造って売っていますけど、そこから例えばもう一つこういう財団、協会を作ってお金を出していただく。〓が中越の防災ではかなりお金を拠出してくれていましたし、僕それで報告書を書かされましたので。そうするとお金をどうやって出していくのかというスキームはみなさんばらばらでやっていると、ばらばらでお金を取りに行くという話になる。ですけれども今、円卓会議があって、公益財団か公益社団か分かりませんですけれども、法人格とってそこで申請をしていく必要があるだろうし、要するにそこで公益性をもっていれば、寄付しやすくなるわけですね、節税のために。ちょっとそこはドライかもしれませんですけれども、お金を出すインセンティブを被災者の人たちとも共有していく。それでいいことやっていますよと分かるんですけれども、日々の生活が厳しい人たちがいるし、100円、200円ぐらいだったら出してもいいよとか、1万円ぐらいなら出してもいいよって人たちに広くコミットしていく仕掛けをしていかないと、ちょっと今、あのマスコミの仕事とかで流してもらったりしますけれども、やっぱり高いレベルで考えている方々と日々の生活の中で防災を考えている方々と、この間をつなぐ仕掛けがやっぱり日本にはない。ないしは東北は特にそこの辺りでみんなでお金を出し合ってというところがちょっと弱い。なのでそこのところの動機付けをするための組織というのを構築していければ、たぶん、人防までいく前にそれがあれば、こんど県は動かざるを得なくなるところがあるでしょうし、僕も県の行政経営推進委員の委員長やっている関係で、遺構を残せといってイエスとは言えないですよね、やっぱり多くの人たちに共感をもって残した方がいいですよと思わせる仕掛けがないと政治家も行政も、なかなかうんといえない。多数の被災地と呼ばれるところにいる被災していない人を巻き込む何かの仕掛けを一方で作る必要があるのではないかと思います。

武田
もう具体的なご発言で、振ろうと思っていたことでした。政治家を動かせと資料に書いてあるのはこのことの次にあるステップだということですね。民間からお金を集める仕組みをきちんと作ったらどうだという事に関しては丸谷先生、ファンドを立ち上げるべきだとこちらに書いています。同じように村瀬さんが同じような趣旨でご意見を載せていらっしゃいますので村瀬さん。
村瀬達哉
国際協力機構の村瀬です。いくつか書かせていただいたんですけど、JICAの仕組みで言うと東北にはけっこうな方が海外からの研修員として来られています。それで実際問題、東北で苦労しているのは、受け入れするところ、見るところは結構だんだんできてきてそういった中で回るんですけど、受け入れていただくところ、そもそも受託していただくところは、多くの場合は今回お名前が出てます神戸であったり、愛媛大学であったりとかちょっと別なところで受託して、その人たちが東北に来て数日過ごして各所を回るのが実際の状態になっています。そういった団体さんが、もし仙台近郊であればそこを起点として、そういった活動が広がるという意味で、実際ペイしている団体さんとペイしていない団体さんがあると思うんですけど、ここに名前が出ているような団体さんにおいても、JICAの研修は受け入れていただいていて、そういった機関は自分の職員の給料はそういった形で払われている機関もありますといった中で、そこは非常にもったいないなと思っています。そんな中でわれわれJICAができることとして書かせていただいたのが震災遺構ということですね。いま神戸に無くてこちらにあるもとはこれなんですね。それなんで日本に研修に来る方はみんなここに来るんです。仙台だけでなく岩手に行けば途上国で珍しいBRTが気仙沼線その他で走っていると、そういったものって見られないですし、今、造っている橋にしても何にしても途上国ではすぐ見られるものではなく、今、日本でもどちらかというとインフラっていうのは維持管理に走っていて、新設というのが無い中で、すごく貴重なものがたくさんある。気仙沼であれ陸前高田であれ、もの凄いかさ上げをしないといけない地域であったり、東松島のように線路を移動してでも町を変える、そういった対比ができるのはすごい価値があると思っています。ただ、そういったものを小さい団体で情報があってそれを受け入れできるのは、ウィキペディアなりそれを検索できるのは一つの情報、それを海外の人が見られる状態にしておくというのはわれわれJICAができることだなと思ってここに少し書かせていただきました。合わせて今、JICAの関係者もそうですけれども、クラウドファンディング、レディフォーとかいろんなもので100万、200万、高い意志をもったNPO、NGOさん、その他個人が結構な割合で成功率をもってやられている。いろんな活動で出てきたアイデアを一定の信頼の置ける仲間の中でやれば、けっこうな金額は集まるのかな、と思ってそこは書かせていただいております。どうしても語り部などがボランタリーベースになっているところがあるかもしれないんですけど、実際にかかっている費用を適正に回収することは持続可能性につながるとわれわれは思っていますのでそういった仕組みで関係者が参加できるようになれば、それがもしかしたら、小さな財団からはじまるのかもしれないですし、そういったものをみんなで作り上げていくことが必要なのかなと思って書かせていただきました。

武田
丸谷先生も含めてクラウドファンディングから始めるといいんじゃないかという、10月の例会の時に中越機構の方が、予算がないからできないと言っていてはいつまでたっても立ち上がらないよ。税金を使おうなんて考えていたらそれは進まないよと、というお話を受けて、みなさんそこに共感したんだなと私は受け止めますが、河村先生もおっしゃったように、そこの部分で県を動かしたり、政治家を動かしたりする前段で何か具体的なものをつくっていかないと動かないかもしれないねという実感をみなさんもってらっしゃるようで、そういうことだと思います。おもしろいところでは経済系団体のみなさんの発想だとお見受けしました。次にまとめてあるところですが、資金作りや予算の視点からですね、災害、震災単独ではなくてオリンピックとか観光、農林水産との予算との連携をもっと考えたらどうだと、専門分野の方々の意見だと思って感心しておるんですが、東京海上の向井さん、いかがですか。

向井有我
東京海上日動の向井と申します。各方面でさまざまな取り組みが行われている前提ではありますけれども民間の目から見ますと、やはりこうばらばら感が若干あるのかなというのが正直なところです。それがいい悪いという話ではなくて、やはり何か大きなうねりの中で、一つにまとまっていくんじゃないのかなあという思いを持っています。その中で今、新聞を見ますと地方創生であるとか5年後オリンピックという中で非常に大きなうねりがあるところにわれわれの取り組みをビルドインできないかなと。そういった時に各種予算とか所管とかいろんな問題が、私が想像が付かない部分もあるとは思うんですけれども、そうした切り口で検討し続けることは一つ重要なのかなと言う風に思った次第でございます。震災からの復興という意味で5年、10年のタイミングとちょうど地方創生、オリンピックというのが時間軸としてあるのは、神様が見ているというと大げさですが、そういう時期なのかなという思ったという次第でございます。最後に前回までの議論の中で一点だけ申し上げさせていただきたいのは民間の〓だけでなくさまざまな取り組みをしているなあと思っています。たぶん企業はCSR室とかCSR機能というのを多数もっていると思うんですね。そこでいろいろなところを連携しながら、いい取り組み、地域に根ざしていきたいとみんな思っている、ところがあるので、私、実は参加させていただいて各社の取り組みを誰か一緒にコラボできないかなといつも思っておりますので、論議の中でそうしたメンバーもいるよということで、産官学の三つが合わさるとひとつ大きなパワーになるのかなあと思ってお聞きしていた次第でございます。

武田
はい、ありがとうございます。政投銀の山崎さん、同じような部分があるのでお願いします。

山崎智之
村瀬さま、向井さまがおっしゃったとおり、持続可能性としては減災防災の取り組みというのはなかなかやっぱりお金の面でもついてこないんです。たぶん、疲れちゃうんだと思うんです。丸谷先生ですとか、〓ですね、中越のような機構を〓していけば、資金のめどなんていうものはある種、安定した形で〓のようなものが〓じゃないかと思います。向井さんも他の〓とのコラボみたいなことをお書きになられていますけれども、今の東北、観光が非常に注目されていますし、特に東北の場合ですと、〓、5億円から50億円、基金が観光とか振興についてくるといったところで、まさにその防災減災の取り組みというのが観光の一つのコンテンツとして非常に機能、うまく組み込めるわけですね。機能してくるんではないのかなと、こういう風に思います。やっぱり防災減災もばらばらで、点と点でという話もありましたけど、観光の方もやっぱり東北被災3県もそうですし東北6県もそうですし、点と点になっているところをいかに一つに、しっかりとした周遊、魅力有る周遊ルートにしていけるかみたいなところを観光では議論されていますので、防災減災も一緒だと思うんですよね。そこをうまくつなげていって、しかも観光とまさにコラボして、観光の方はコンテンツが欲しいし、防災減災の方もあまり興味のない人の口に無理やり突っ込むのではなくて、それがないという方たちが自然に意識を持って学べるようなところっていうものをコラボ先としては観光と非常にこうフィットするんじゃないかなと思っています。お金が〓いうのをみなさん、かかったお金はちゃんとこう回収できる、というかですね、志だけだと人が代わるとみたいなところもありますし、なんかこう、力尽きて倒れちゃうというかですね、そういったことが他の産業に対して魅力的にアプローチすることによってお互いに〓、持続できればですね、そういったところって次の復興創生機関でうまくみなさんうまく〓ているという中ではまさにその民間ベースでのそこでの取り組み一緒にやっていくというところが結構大きいんじゃないかなと思っています。

武田
二人の意見はやっぱり狭い視野で考えていくと、組織的にもどうやら予算面でお金の面でも限界があるよというご指摘で非常に私は興味を持ったというか、じゃあ具体的にどうするかはこの後の問題として非常に意義があったと思います。次にですね、教育、伝承という面では語り部の育成についてもっと真剣に考えなきゃいけないんじゃないのというご指摘があります。時事の山田さんいかがですか。
山田恵資
時事通信の山田と申します。アンケートをお答えした段階で、明らかになったことがございましてそこを補足させていただきますと、私は語り部と遺構は表裏一体だと思っています。どちらも起きたことを次の世代に伝えていくという役割です。しかし語り部の場合は、生の語り部の方はいずれ寿命が来てしまいますから、原爆にしても私の父で原爆にあいましたが、亡くなりました。もっといろんなことを聞いておけば良かったなあと思いますが、もう生で語れる方は非常に少なくなっております。今から30年たっていくとどんどん減っていくわけですから、今、語れる方々が少しでも多くいる、その方はもちろん日本以外、東北以外のところに出掛けて語る、これ大きな変化だと思っていますけれども、一方で遺構というのは、これは語るというのは自身で語っていくということです。先ほど東北が、阪神と比べてまとまりのこと指摘していただきましたが、私は東北の人間ではないので、東北の方の前でこの話をするときはちょっと慎重を要すると思いながら申し上げるんですけれども、私、兵庫県の出身です。親は兵庫と大阪と広島の人間ですが、たいへん東北の方々は関西に比べてそれぞれの地域で仲が悪いことが多い。ちょっとそういう言い方をすればなんなんですけれども、なかなかまとまらない時があるなあと。知事自身が大阪の方ですけれども、そのことをオフレコベースでおっしゃっていたことがあって、はっとしたことがありました。これは地域地域のプライドのことですから、ここを争ってはしょうがないんですけれども、なぜ遅いのかなということを言われると、私はそこにあるのかなあと思うことが一点と、そこに加えて今回の東日本大震災という言葉では種目、種類が多すぎる。つまりこの大震災がもたらしたことが三つあって、まずまさに地震そのものと、それから津波とそれから原発です。それぞれの地域にそれぞれの特徴があるところにもっていってまとまりがなかなかつかないということがありますから、東日本大震災というひと言で、このキーワードだけでなんかみんなと共有できるセンターをつくるというのは、私は非常に非現実的だと思っています。ですから、ここは割り切って津波なら津波、震災なら震災、もちろんそれぞれあります。原発の事故の時に道で逃げろ逃げろというけれどもその道が壊れていて逃げられないにもかかわらず、あたかもそれが地震は地震、津波は津波、原発事故は原発事故とそれぞれ個別に分けているようなそんな議論が平気でなされているという、大変ばかばかしいことが今、起きている。それは弊社の方にも責任がありますけれども、それを政府がやっています。そういうふうなことが無いようにするということが大事なんですけれども、一緒にしようとするといつまでたってもできないのかなあと思っています。で、ちょっと遺構の話に戻りますけれども、遺構というのは現場にいらっしゃる人たちにとって、10年、20年ではなく100年、200年残るものである。同時にそのことを見に来られる方がいらっしゃいます。私このあいだ広島に2、3週間前にある用事で参りました。原爆ドームの周りに非常に外国人の方多いです。当然にように駅に行きますと英語が話せるボランティアの方がですね、この人は原爆ドームをみたいだろうなと思われる人に声をかけたり、あるいはルートはこうですと、そこは一つ、発信ということになると思います。チェルノブイリの原発のあの施設ですね、年間1万人の人が観光で来ています。これは観光という言葉が良くないのであれば見学できています。そういったことも発信力がなせる業だと思っていますので、私は遺構と語り部というこの二つは実は伝承するということで非常に共通しているものがあると思っています。

武田
ありがとうございました。語り部については河北の須藤が意見をもっていますのでお願いします。

須藤宣毅
河北新報の須藤です。震災後、被災地の証言を集めて強く感じたのは、津波の場合引き波から始まったところがあれば、そうでないところも有りましたし、建物に避難して助かった人がいれば、建物そのものが津波にのみ込まれて犠牲が出たところもありました。今回、沿岸部の海岸線、直線距離で400㌔ぐらいになるんですが、津々浦々、被害の形や翻すと、必要な課題が異なっていました。震災後各地で遺族の方だったり、NPOだったり、学生、観光関係の方もいらっしゃいますが、語り部活動が盛んに行われています。私も付き合いのある語り部の方が何にもいるんですが、実体験に基づく伝承はインパクトがあると思っています。その一方で個々の体験のインパクトがあまりにも強いあまり、災害のイメージが固定化してしまうのではないかという心配をここのところずっと持っていました。そこで私が考えたのは、個々の体験は体験として、災害ですとか防災の知識を身に付けて、誤解のないような伝え方でできるようにするとか、あとは伝える時のコツとして被災者の体験が聞いた人の自分自身の身や家族に置き換えて物事を考えられるような、そういう効果的な伝え方の技術を学べる場が必要ではないかと思っています。たくさんの方が語り部のもとに、西日本を中心に来ているんですけれども、できればそういう取り組みを早い時期に始めて、少しでも震災の教訓というものが誤解のないように、次の被災地で生かされるようにしていくべきだと思っています。

武田
今村先生がちょっと中座しないといけません。これまでの議論に対してひとこといただきます。

今村
このあとのクロージングの担当を受けさせていただいていて、ちょっとまとめが必要だということで中座させていただきたいと思います。今、語り部の話が出ましてまさに須藤さんがいいました当事者の内容というのは心に響く、共感ということは非常にいいわけなんですが、しかしそれが適応できるとは限らない。やはり共通性とか普遍性ですね、これが今は必要だと思います。もうひとつはさらにいうと自分の事としてとらえる共有化だったり、または感じただけではだめで、行動をどうとっていただくか、これ教育のお話になるかと思うんですけれども、理解し、知識にしていただいた後、どういう風に行動までとっていただくのか、語り部ツアー等で学んでいただいたら、地元に帰っていただいて、何かアクションを起こしていただくための仕組みが必要だと思っております。盛り上がったところで中座させていただくのは申しわけありませんですけれども、今、課題を出していただいて、武田さんに円卓会議の最後の方向性を議論していただくということでありますのでどうぞよろしくお願いいたします。

武田
ありがとうございました。もうひとつですね、どうやらそういう知識や意識を持っている人たちの間だけで盛り上がっているだけではだめだよという意見が多数あったように思いました。市民向けのイベントをやったり、もっとマスコミも奮起して市井の人たちへのアプローチを強めるべきではないか、という意見です。板橋さん、村田さんからそういったご意見があったようなので、村田さんの方から啓発の対象というのをきちんと市民の方を一番に位置づけなさいよと書かれたんだと私は受け止めていますが、いかがでしょうか。

村田淑恵
復興支援アイドルみちのく仙台ORI姫隊をやっています代表の村田です。ORI姫隊は2011年の7月から復興支援を被災地の小中校生で復興支援活動をやっているんですが、今出たお話しの中のことがこの5年間で本当に点の活動をやってきて、いま一つになりかかっているなというのが私の感想で、どういう活動になっているかといいますと、まずあの昨年ですねORI姫隊は震災からベトナムとパリとそれから台湾に義援金の御礼のライブに行ってましてそこで被災地の写真を飾って被災地の状況を海外にお知らせしたりとかそういった活動をしているんですね。その時に折しも先ほどお話あったんですけど地域創生のジェロップさんの補助をちょっといただきまして、それえで一部補助をいただいて行ってきたんです。あと河北新報さんの方で昨年ちょっと夏にですね、第一面に載せていただいた関わりで外務省さんの方から日本の行動ということでORI姫隊の活動を取り上げていただきまして、ショートムービーを作っていただきまして、子どもたちでもできる防災教育というのをこちらで参加されている方々にもたくさんご協力いただきまして作っておりまして、その活動を密着で撮っていただいて、たぶん3月の下旬から、各大使館さんで多言語化されてその活動が紹介されるんですね。たぶん夏あたりにはユーチューブが何かにでるとは思うんですけども、そういったこととか、ネパールの方に地震があった時に、その直後から支援をしているんですけれども、この秋に鉄筋コンクリートで学校を建設しようと、ということでそれもORI姫隊が被災地の子どもでやってすべての教えなくても分かっていて、募金活動を熱心に私と一緒にやってきて、どなたの補助も受けずに5年やってきたんですけれども、先ほどのお話のあった災害研究所の丸谷さんですか、その方のファンドとかクラウドファンディングとか、こういったものをもっと有効活用して私たちがやっている活動がもっとたくさんの方々に、海外にも、取り上げていただけるようになっているので、こういった支援をたくさんいただいてやるのが、私たちの6年目の活動かと思ってやっています。私は七ケ浜なんですけど、メンバーにも七ケ浜の子がいて、津波が来たところなんですが、やっぱりあの日、子どもが一人でいてORI姫のメンバーで、津波の方に海の方に逃げろと言われて自宅の方に帰ろうと思ったら津波が来てたんですよね。それでたまたま小学校2年生だったんですけど、高台に逃げようとということで途中から車で拾われて高台に逃げたんですけどもこういった知識があるのは、被災地の私たちとかそれを経験した子どもだからこそ次に伝えられるということなんですよ。それをいろんな形でDVDを今作っているんですけど、それと海外の方たちにも海外の子どもはまったくそういう概念がなくて、防災とか減災とか全くないんですよね。それを広めたいというのと、私があの大磯出身で海岸の目の前に自宅があって、子どもの頃にたぶん東海沖地震が来ると言っていたんですが、この歳になってこちらに住んでいてこういう目にあったということで、私の出身の湘南の方に聞くと、行政が何もしてくれないという苦情を聞くんですね。やはり東日本大震災の経験、先ほどちょっと取り払った方がいいという話があったんですけど、その経験がある、ノウハウがあるからこそ、あの湘南の方にもそのころを伝承というか、ノウハウを教えることもできると思うので、できれば点となったいろんな情報をまとめて伝えていきたいと思うのと、産学官、あのORI姫隊は復興支援アイドルなんですけど、産学官というのはあるんですが、やはりカルチャーとか文化というのがそれを縦断できる、横断できる自由な位置づけで動ける、全部結び付ける立ち位置でメッセージを伝えられるシンボルというかそういうものに成り得るというのがあるので、是非そこに産学官のところにカルチャーとか、そういうものを入れていただいて軟らかく一般の人たちに受け入れてもらえるように、いろいろな表現の方法を工夫していきたいと思っております。

武田
やっぱり市民が分かるような形での啓発とか教訓伝承というのは重要だねという部分に関しては非常に共感できるところがあって、独りよがりで研究機関とマスコミあたりががんばっているだけではどうやらだめだねという意見とお見受けして、今の趣旨もそういう風に受け止めたいと思うんですが、ちょっと時間が押してきましたので少し先を急ぎますけれども、三番目のテーマ、2年目以降の活動、何が必要なんだろうね。もう既に今まですべきことの中で出ているし、不十分なことの中でも出ているわけですが、ここで議論を進めたいと思います。非常に具体的なのは菊地さんの方から、沿岸自治体の参加しないのはどういうわけだ。入れなさいというお叱りです。菊地さんいかがですか。

菊地
菊地ですけれども、円卓会議の名の下にこちらに集まっているのは仙台市内というか、海側は被災しているわけですが、被災していない内陸側の人たちが集まって議論しているのかなと思っています。沿岸部の山元だったり、北の方の気仙沼でもいいんですが沿岸市町村の方々が全然参加していない。これで官公庁連絡会、産学官連携と言えるのかなと思っていまして、もっと被災地の方々が参加しないといい発想は生まれないんじゃないかと思っていまして、私も震災の時はこちらの高いビルにいたもんですから、実際に被害を受けなかったもんですからね、なかなか実際に被害を受けた沿岸部の市町村の方々を巻き込んで議論すべきじゃないかと思っております。

武田
前々から指摘されていたことなんですよね。まず小さく始まるというところで1年間来た経緯が事務局から説明するとあります。それでやはり沿岸市町村がどれだけ毎回の例会にご参加いただけるか別にしてきちんと位置づけようよということは事務局段階では進めております。実現できるかどうかはお待ち下さい。呼び掛ける枠組みはすでにあるので、そちらを活用しながらやってはどうだろうという具体的な案も出ています。よろしくお願いします。それからですね、イベントとか合同研修会、具体的なことをちゃんとやっていこうよというお話です。これは板橋さんからありますので、板橋さんいかがですか。

板橋
今回の仙台防災未来フォーラム、たくさんの市民の方たちで会場は本当ににぎわっています。これを定例化してはいかがかと思います。その時に予算が厳しければ、それこそファンドを立ち上げるなり、寄付を募るなりという方法で継続することができるかと思いますし、祭り的な要素を3・11の近辺にもってきてはどうかと思います。それこそ稲むらの火の基になった広村で現在も11月5日に津波祭りが行われているように、人々の記憶を風化させないためにも慰霊鎮魂という意味も含んだお祭りを立ち上げてそのときは本当に鎮魂しながら次に向かう、未来に向かって命を守れる取り組みを市民レベルできちんとやっていくという意識を共有する意味でもそういうイベント化が必要かと思います。

高橋
それから共同の高橋さん、河村さんと田中さんからはですね、具体的にそういう仕掛けをきちんとやって外から呼ぶなり、自分たちから出掛けて行くなり、アクションを起こしましょうと。その中で田中さんからは何か報告書のようなものをきちんと作りましょうというご提案もあります。田中さんいかがでしょうか。

田中勢子
今まで会議の中でいろいろな報告を拝聴させていただきましてすごく勉強になりましたし、いろんなイベントを宮城県内でも防災関係させていただきまして、いろいろなツールができたりしておりますので、そういうのをこれから自然災害国日本ですので全国に発信、宮城から発信できたらいいなと思います。そしてメディアの方たちも参加なさっていただいていますので、社会貢献学会さんのように、あちらですと神戸学院大学さん、兵庫県立大学さん、福祉大学さんがテレビでつないでいろいろ意見交換して、そういうのをメディアの方たちとみなさんと全国的な防災減災円卓会議ができたらという壮大な考えも思っておりました。

武田
そうは言っても地道なところで意見交換の場をきちんと重視したらどうですか、というお話しです。先ほど、飲みにケーションの方を大切にしたほうがいいんじゃないかという話もありましたが、仙台市の菊田さん、いかがですか。

菊田敦
仙台市の菊田でございます。私どもとしては一つには円卓会議として今いろいろとアイデアは出てきておりますけれども、具体的なものとしてこういうことやりましたよと言えるようなものを一つでもまずはやっていくと、議論だけではなくて具体的な事業としてやっていくことが大事なのではないかというようなことを意見として書かせていただきました。先ほど、板橋さんからお話しありましたけれども、この防災未来フォーラムを続けていってはどうかというご提案がございました。これにつきましては、私どもとしてこのような今回のような趣旨で毎年やっていきたいといったようなことは考えております。ただ、やはり行政でございますので予算のある中でということになるので毎年同じようにこういう規模でやれるか、仙台市がこれだけの予算をかけてやれるかといったところにはいささかあの難しい面はあるんですけれども、趣旨としてはなんとか継続をしていきたいというようなことで考えておりますので、形は変わっても続けていく覚悟はあるということをこの場で言っておきたいと思います。あともう一点だけ、やはり円卓会議のような場というのは、いまファンディングの話とかもありましたけれども、そういう機運を盛り上げていく、あるいはムーブメントを作っていくといったところは円卓会議の場が適しているのかなと感じております。やはりそういう運動を起こしていくのは、われわれ行政は非常に苦手というか部分がありますので、むしろこの場からこの場から運動を起こしていって国県あるいはわれわれ市、町の方に働きかけをしていく、さらには一般市民にもこの思いというものを広めていくという活動を展開していけばいいのかなという期待を持っております。

武田
保田先生、いかがですか。

保田
ありがとうございます。きょうもいろんな立場の人からいろんな意見が得られて、ちょっと目から鱗が、ご意見いただいて私も個人的にすごく参考とするところがありましたし、勉強になりました。こういうふうな話をする場がなかなか無くて、円卓会議でも後のプレゼン後の質疑応答ぐらいになっていますよね。もう少し時間が必要なかなと思って、なかなかみなさんこれだけの人数がいると、自分の意見をぽんぽんと出すことができないので、議論の時間をもっととっていただけたら、というのが私の意見の一つです。私が今やっている意識啓発というのは結局、子どもたちにやっていますけれども、ちょっとまとめから外して武田さんにご迷惑をかけるんですけれども、最初の議論からでして、きょう教育委員会の方いらっしゃらないんですけど、先日、中学校の校長先生が「こういうことが受験の科目に出れば、学校も公にもっと熱心に取り組めるのに」と言われて、まさに本音だなと思って、県立高校とか仙台市立高校とかですこしそういう面も考えて下さると、学校も公に取り組めるんじゃないかなと、すいません、ぽろっと漏らしました。

武田
重要なことだと思います。具体的な活動のイメージをもっと作るべきじゃないかという意見があと並んでいます。取り組むテーマを絞って、分科会設けて、プロジェクトを立ち上げろという意見がですね、ここは今野さんが一番言いたいところなので、今野さんお願いします。

今野
今野です。みなさんここにお集まりの方たちは優秀な方ばかりで、各回の報告を聞いてもすごいこといっぱいされておられると思いますね。それでみんな同じようなご意見で、どうもまとまりがない、ばらばらだと、たぶんフォローできていないというか、非常にいいお話しなんだけど、もう少し突っ込んだお話し合いとかですね、自分が抱えている問題とどうリンクするのか。うまくリンクすると非常に大きな動きに発展していくんじゃないかと思うんですけど、そういうところをうまく結びつけていくのが、一つは分科会であって、分科会が何個か集まって、この緩いつながりのある円卓会議に戻ってくる、あるいはそういうところでいろんな報告をするといったようなことで、これから立ち上げて作って行ったらいいんじゃないかというふうに私は思っているんですけれども。

武田
東北大の佐々木さんが同じような意見であります。ご自分の医療の関係も含めてお話しいただければと思います。

佐々木宏之
災害研佐々木です。今の今野さんのお話しと同じように、そろそろプロダクトを生み出していく時期なんじゃないかと考えています。一年間この集まりの活動として、それぞれの団体の活動ないようどんなことをやっているのかという紹介に終わったわけですが、2年目以降は外向きに発信していけるような何かを生み出していく。そのためにはいろんなテーマを抱えている大きな集合ですので、ある程度の小さなグループに分けてですね、業態の枠を超えてテーマを決めて、プロダクトを生み出していく活動を2年目、3年目に行っていくべきではないかと思っています。僕ですね災害研の仕事をやりながら、南海トラフの被災予想地域の〓などを調べたりしているわけですが、あちらの方では一般の医療機関で防災に対してどういう備えをしておけばいいのか、知らない病院がけっこうたくさんあると。災害拠点病院と呼ばれる災害に強い病院は全国規模の学会とかに出てきて防災減災の考え方とか、かなり広く浸透しているわけですが、一般の病院であるとか、急性期医療に必ずしも携わらない病院というところはそういう情報に触れる機会すらないというところがあります。先ほども保田先生がおっしゃっていましたけれども、いろいろ考えているところとそうでないところの差がかなり激しくなってきているという印象がありますので、防災減災円卓会議が一つのパッケージとして南海トラフ被災予想地域の同じようなカウンターパートと共同歩調を進めながらですね物事を考えていけるようになれば、2年目、3年目のプロダクトがより明確に生み出されるのではないかという風に考えています。

武田
ありがとうございます。丸谷先生、安倍さんも似たように何か具体的なものをやるために分科会なり幹事グループそういうものを作ってやったらどうだというあれです。これなかなかですね、今村先生と私はこの話はしたんですが、さてこれをやるのは、事務局能力からして本当にできるのか、4月の時点でどうやってしたらいいだろうな、という悩みが出たのも事実です。弱音を吐いているわけではありませんが、みなさんの今以上積極的な参加がないと、いずれの提案もできないんだということもあろうかと思います。その辺はご理解いただきながらということになりますが、ご発言いただいていない方でですね、毎回、お顔を見せていただいている方もいらっしゃいます。久利さんいかがですか、いままでの議論をあらためて。

久利美和
この段階で何を発言すればいいのか今とても迷ったんですけれども、少し私が書かせていただいているのは、ジオパークというものを言葉にはしているんですけども、その背景にあるものというのは、実は東日本大震災はひとつ大きな課題だけれどもそれだけではないということを伝えなければいけない。それから災害というのはどこか遠くにあるものではなくて、実は日常と同じような土地の恵をもたらしているものと同じ背景の中で生まれてきているものである、そういうことを伝えていきたい。それからハードがなくても、ハードがあったらあったなりに、ハードがなくてもヤドカリ形式で人が行ってなにかできる、ソフトだけでもできるような枠組みがあってもいいんじゃないか、それは選択的にやれる、この段階ではハードがなくてもやれる、この段階ではハードを目指してやる、あるいはこの段階ではボランティアベースでやる、この段階ではボランティアベースから脱却してやる、ってところをもう少しシーン別にできるような枠組みが議論されればいいんじゃないかということで、そういう枠組みはあるんじゃないか、考えなければいけないんじゃないかということで少し提案をさせていただいております。それからジオパークだと専門家もいるし、それからその土地土地で観光業をやっている人もいるし、専門家だけじゃなくて行政もいれて、それから地域の防災協議会の中に入っていくということを、例えば静岡ではやっておりますし、それから防災教育というとことでは桜島ではNPOと組むようなやり方でやっているたくさんの事例がありますので、そういうところも参考になればいいかなと思いながら、円卓会議の中でプロダクトを出していくというのもあるんですけども、具体的な行動はやはり必要だと思っておりますのでジオパークにこだわらないけれども、そういう参考になる事例だということでコメント差し上げます。

武田
ありがとうございました。それでは福留先生、感想を少しいただけますか。

福留邦洋
東北工業大学、福留です。きょういろいろ議論なされまして個人的に驚いたのは人と防災未来センターとかの名前がかなり指摘が出ていたんですが、ちょっと関わってきた人間から補足させていただくと2点考えておかなければいけないのは災害規模もありますけども、20年という時間の流れを考えないと、そのまま持ち込めるかという議論は別のような気がします。せっかくご関心が高い方が多いようで一点だけ余計なことをいいますと、飛べフェニックスという本の中に人と防災未来センター21世紀機構に関する一つ独立した章が当時の副知事が生々しく書いていましてそれをご覧なられるとどういういきさつで出てきたのかというのがよく分かるかと思います。ちょっと厳しい言い方ですけれども、そこに書かれているようなことが本当に東北でできるとすれば同じようなものができるかと思いますけれども、先ほど申し上げた20年の歳月、そこの気概というものが果たしてもてるのかどうかというのが、鍵なんじゃないかなというふうに聞いていて思いました。最後のところともつながると思いますがそういう意味で、実は前任地新潟だったんですけれども、中越がうまくある程度できていると評価いただいている一つは実は小さいながらもネットワークが組めているのは、繋ぎ役の立場の方が尊重されているというか、きょうお集まりの方もそれぞれ多くの方がご専門をもって臨んでいる方が多いかと思いますが、うまく回していくためには、きょう一環して出ている連携のようなところは実はちょっと語弊があるかもしれませんが余り強いご専門というよりも、つなぐというところを重視されるというか、そういうことを得意とされるような個人なり組織の方が仲を取り持つというか、プラットホームづくりの核になられてそこに各専門の方なり機関がそのつながる方なり、組織を尊重するといいましょうか、そういう関係性がうまく成り立ってたぶん広く、言い方がよく分かりませんけれども、利害関係を超えてつながるためにはそういう仕組みというか、考え方も今後、必要でないかなと思います。

武田
ありがとうございました。最後に指名して良かったと思っています。まさに課題になっているところがその辺りでですね、すぐにみなさんから出たところが実行に移せるかどうかについては、その辺の課題もあってこれから進んでいかなければいけないのかなと、今村先生にまとめてもらおうと思いましたが居なくなりましたので、まとめはあえていたしません。恐らくきょう1時間半議論した中で、足りない点とこうなればいいのになあというところについては、ある程度の確認ができたのかなと思います。それをもって4月以降の活動にどう運営していくか今後、事務局で今村先生との間でまたもんでみたいと思います。とりあえず今日は初めての意見交換を本格的にやった機会だと位置づけてその意味をみなさんと確認したいと思います。よろしくお願いします。以上でテーマセッションの議論は終了いたしまして、その内容については後ほど私から3分でクロージングの枠組みの中で報告をさせていただきます。

終了